はじめに
今回のカード大アルカナ3番の女帝です。
大アルカナの中では珍しくというか、唯一ですが、物的豊かさが強調されているカードです。
他のカードは皆、様々なメッセージこめられていますが、いずれも、運命論や人間の精神性の部分を強調していますから、珍しいカードだと私は思います。
しかも、大アルカナの中で、真正面から「幸福」というものを表すカードです。
この、幸福を象徴するカードが、愛や成功ではなく、物的豊かさを強調しているという点が非常に興味深いカードです。
そして、そこにこそ、タロットが神聖性を強調して人間不在の神の教典にならずに、人間と共にある理由がある気がします。
例の如く深読みしてみます。
絵の解釈
まず、女性がゆったりと玉座に座っていて、いかにも幸せそうというか、世界を支配しているかのような穏やかさを持っています。
この女性は、果物の描かれたゆったりした服を着ていますが、この果物はザクロであり、女性は妊娠しているという理解が素直で私は好きです。
そして、出産は繁栄の象徴です。
まあ、今の時代、出産こそが繁栄の象徴なんて言うと、LGBT活動家やフェミニストの方に怒られそうですが、子供が生まれなければ我々は滅んでしまうわけで、子孫繁栄が社会繁栄の基礎にあるという考えまで否定する必要は無いと思います。
そして、女性は、赤く大きな玉座に座っており、赤は情熱や意欲を表しますが、この場合は愛情に包まれている状態を表していると考えていいと思います。
また、脇にハートの形をして、愛の星である金星のマークが描かれている盾が置かれていることから、同様に、この女性が愛情に守られていることが見て取れます。
そして、手前には実った小麦、背景には森林と小川が描かれ、この女性が豊穣な自然に包まれていることを表しています。
さらに、女性は、12個の星のついたティアラをつけ(時間の流れ)、また、手には地球をかたどった笏(しゃく)を持っており、年月の流れや地球を祝福している様子が見て取れます。
以上をまとめると、このカードが表しているものはシンプルで、大自然の中で、豊かな実りや愛情を一杯受け、世界に感謝しながら満ち足りている女帝の様子を描いていると考えれます。
幸せとは何か
菜根譚という中国で16世紀ごろに書かれた書物があります。
これは、吉田松陰、田中角栄、松下幸之助、野村克也など多くの著名人の愛読書として有名な書物です。
菜根譚は、人はどう生きるかについて書かれた本ですが、特徴としては、中庸の徳を説いたところにあり、要するに、堅苦しくなく、何事もほどほどが一番とバランスの取れた生き方を説くところです。
道徳を説きつつも、清貧に甘んじろなんて言わず、豊かな生活を肯定するし、天の教えのようなことも説きますが、人間同士の生活から生じる喜怒哀楽の感情を否定したりしません。
そういう人間らしさを大事にしながら、よりよく生きることを勧めるところが、人生の指標になりつつも現実的で受け入れやすいのですが、読み進めていくと、後半になってから、段々と著者がおかしくなっていきます。
例えば、以下のような文章が登場します。
志の高い人は大国を譲ると言われても辞退するが、卑しい者は一文の銭にも飛びつく。両者の人格には天地ほどの差がある。
しかし、よくよく考えてみると、名誉欲をとるか物欲を取るかだけの違いであり、欲に囚われていることは変わらない。
このように、目先の利益にあさましく飛びついたりせずに、志高く振る舞おうとしても、それも結局は名誉欲を優先しただけであり、欲に囚われているという点では同じなのではないかなどと、答えのない袋小路に自分で自分を追い込んでしまいます。
哲学にも、当たり前のことも一つ一つ疑っていこうと疑う姿勢を重視しすぎた結果、懐疑派と言ってなんでもかんでも疑うことでわけわからなくなる派がありますし、また、思想家にも、考え過ぎた結果壁にぶつかり、結局なるようにしかならないと言って開き直り、積極的に何もしないニヒリズムに到達してしまった人もいます。
そして、幸せとは何かという問いも、ある意味究極的に哲学的な問いですから、同じようになる可能性があります。
お金持ち=幸せではない、社会的成功=幸せとは限らないなんて、あれこれ考えて、もっと高次元の精神的な幸せを求めるなどとやりはじめると、収拾がつかなくなって、人生は無意味であるとか、今の社会は救いがないとか、そんな考えが芽を出しかねません。
そうなったら、幸せは遠のくばかりです。
そこで、このカードです。
愛情に包まれていますが、愛があるから後は何でもいいでしょと、精神性をことさら強調するものにはなっていません。
自然の実りが物的な豊かさを表しており、それだって、人間が幸せになるには必要なわけです。
幸せを感じるには愛情も物的豊かさも両方必要ですし、その反面、その二つがあって幸せを感じていれば、それでいいわけです。
自然の一部
このカードを解釈するうえで、女帝が12個の星をつけ時間の流れを象徴していると思われるティアラをつけ、豊かさに関して、自然の実りと出産という表現がされていることは無視できない気がします。
自然の実りや出産というのは、時間の流れを意識させるものです。
つまり、この女帝は、自身も自然の一部として、流れる時の中で幸福や豊かさを感じているわけです。
幸福や豊穣を表していると言っても、永遠の幸福のようなものを表しているわけではなく、あくまで時の流れの中で巡ってきた幸せに包まれています。
チェーホフの三人姉妹の中で、トゥーゼンバフという人が下記のようなことを言います。
われわれの死んだ後に、人は空を飛ぶようになるだろう。背広の型も変わるだろう。ひょっとしたら第6感というものが出来て、それを発達させるかもしれない。でも、人生はやはり同じさ。神秘に満ちた、苦しい、しかも幸福な生活だろう。千年経ったって、人は同じように、「ああ、生きるのは苦しい」と嘆くだろう。でも、また、それと同時に、今と同じように死を恐れ、死にたがらないでしょうよ。
私はこういう考えが大好きです。
こういった考えというのは、人が幸せになるうえで不可欠だと思います。
時間の流れの中、長い人生の中、いい時もあれば悪い時もあります。
思い悩むことも大事ですが、あれこれ考えても仕方が無いよな、と思える余裕も必要です。
人生そういうものであり、その中で、人との一期一会の出会いを楽しんだり、様々な喜怒哀楽を感じたり、旅行をしたり、映画を見たりゲームをしたりしてつかの間の休息を楽しんだり。
諦めとかではなく、大きな流れの中の小さな自分を受け入れ、ありのままの自分や目の前の世界を受け入れることが幸せになるうえで一番必要かもしれません。
そういったことから、背景の大自然や時の流れが強調され、女性は笏を掲げて今自分がいる世界を祝福しているのだと思います。
カードの意味
以上のように、このカードは、出産や植物の実りといった、自然から与えられる恵みを受け、また、愛情にも恵まれ、幸せに包まれる女性を表しています。
そして、その幸せは、時の流れや自分を包む大自然を受け入れて、その一部としての自分を感じながら得られる幸せです。
まとめ
正位置
幸福や豊穣。精神的な充足と物的な豊かさの両方に包まれた幸福。時の流れの中で巡ってきた幸せの時間。
裏の意味
幸せを感じるためには、大いなる自然や時の流れの中で、自分や環境を受け入れる必要がある。
逆位置
ありのままの自分を受け入れられていない。現状を否定することから始まるから幸せや豊かさに満たされない。